静も動も辛いなら。
どうしたらいいものなのでしょうね。
歩くのはもちろん。走るなんてもってのほか。
転ぶのが恥ずかしいとか、怪我するのが怖いとか、そんな次元ですらない。
ただただ、過去の一挙手一投足による経験則による倦怠感によるものだ。
ならば、これを機に思いっきり休めばいいじゃないか。と他人は言う。
頑張る才能…と言えば語弊があるかもしれないが、所謂「頑張れる人間」様にはお分かりになられないかもしれないけれど。
「何もしない」こと自体がストレスになる人間もいるんですよ。
意図的に「休む」という行動をしなければならない。それは、「肉体的な動作を一切しない」ということとイコールではないのです。
精神的、及び肉体的に「休ませる」というのはつまり、「日頃では味わえない快楽&快感を得られる行動をする」ということなんですよ。
それが人によっては寝まくることだったり、ジムで汗をかくことだったり、半身浴しながら読書をすることだったりするわけで。
自分にとってはそれが「趣味」だったわけです。
ゲームだったり。筋トレだったり。映画鑑賞だったり。瞑想だったり。
これまでは仕事の合間の生活時間で、それらの休息を取っていたつもりだったんですが。
まだ仕事が見つからない現状では、自由に使える時間が多すぎて。
どんどん、好きなものたちが好きじゃなくなる。楽しいことたちが楽しくなくなる。
先日の話と通じる部分ですね。「同じものばかり食べてたら、それがどれだけ美味しくても飽きる」んですよ。
大袈裟に言えば、吐き気を催すほど。もう要らないや。と、身体が、脳が、心が、拒絶する。
何もしてないと退屈で、生きてるのが辛くなる。
↓
何か行動を起こしても、何も楽しくないどころか苦痛に思える。
↓
なんの積み重ねも出来ない、なんの生産性もない自分に嫌気が差して、生きるのが辛くなる。
↓
こんな精神状態じゃ何をしても辛くなるだけだ!と、何もしなくなる。
↓
何もしてないと退屈で…の、無限ループ。
息をしてても、止めてても苦しいのなら、どうすればいい。
どうしたいんだろう。
吐き出したい一心でこんなところに書いてるけど。
ココに吐き出したところで解決するわけでもなし。
空いた脳内スペースを活かせる手立ても特に無し。
やりたいことがないんだ。なりたいものがないんだ。
希望とか目標の類は、今までは気づいたら手に持てていた分、導き方とか掲げ方みたいなものは、知らないんだ。
幼少期はただ漠然と生きてた。動物らしい生き方をしてたと思う。
感情と感覚のままに生きた。自由奔放過ぎて、周りにたくさん迷惑をかけた。
学生時代の後半で人間関係のトラブルが増えて、厄介さも増して、処世術を考えて身に付けざるを得なくなった。心身が弱いせいで、周りにたくさん迷惑をかけた。
身の丈に合わない壮大な夢を掲げて、何の根拠もない薄っぺらい自信で、抱えきれない程、背負いきれない程、贖罪しきれない程、他人の人生を狂わせた。
数にしたら数人~数十人だったのかもしれない。それでも、ちっぽけな自分には十分な重さだった。
こんな自分のままじゃだめだ、と、自己理解と自分磨きを始めた。
今まで感覚で、てきとーでやってきた部分を、論理的に認識できるように努力した。
そうすれば、もっと上手に「自分」を乗りこなせる気がしたんだ。
『人は、いつからだって変われる。遅すぎることなんてない。』なんて言葉を鵜呑みにして。根本的な馬鹿さ加減は、全く変わってなかったんだ。
遅かった。あまりにも遅かった。ただただ、自分の愚鈍さや頭の悪さを明確にしていっただけの2年だった。積み重ねたら届くと思った。積み重ねることが大切だと思った。
もちろん、それら自体は間違いではなかった。
ただ、遅すぎた。
単純に、幼少期や学生時代から積み上げている奴らには、到底追い付かない。
社会人になったら、尚更。能力や才能云々じゃなく、シンプルに時間が足りない。
タイムイズマネー。社会人は時間をお金で買うものだ。
学生ほどの自由時間が無い分、持ち得る財力で時間を買って、能力を身に付けられる。
身に付けきれない能力は早々に見極め、その能力を備えた人間を買う(雇う)。
社会人の戦い方、生存戦略はそうやっていくものだと知った。
そして改めて実感したんだ。
時間もお金も無い自分に、いかに選択肢がないかを。
選択肢が全く無いことはない。もちろん。
高望みをしなければ、別に。なんてことはない。
食っちゃ寝して生きるくらいのことは、なんてことないだろう。
ただ、そんな平凡で平穏な人生に魅力を感じてないのも事実で。
唯一やりたいこと…というか、漠然とした将来像に辿り着くには、あまりにも積み上げてきたものが少なすぎる。役に立たなさすぎる。
そして、そもそもの性根が、その将来像をかけ離れている。
生きたいようには生きられない。
生きられるようにしか生きられない。
なるようにしかならない。それは、人生において当たり前のことかもしれないけれど。
人によっては、それでいいと本気で言う人もいるけれど。
こちとら、そんな根っからの旅人のような、奔放な生き方を全否定されてきた人生で。
それをなんとかしようとしてきたのに、今更そんなんしなくても良かったのに。みたいに言われてね。…いや、誰にも言われてないけどさ、実際には。
でも、誰よりも身近な自分が言うんだよ。やんなくても良かったね、無駄骨だったね。って。
見方によっては、膨大なデータが取れたと喜ぶべきなのかもしれない。
けど、俺はまだ、そんなに論理人間になり切れてないようで。
やっぱりショックなんですよ。
そんなことないはずだと頭ではわかってるのに、今までのほぼ全部が無駄に思えちゃうんだ。
そんな今までが、これからも続くのかと思うと、憂鬱なんだ。
データを活かして、改善に努める。っていう当たり前の選択を選ぶことすら無駄に思えてしまうほどの、憂鬱なんだ。
精神科医に行くことすら無駄に思えるんだ。
どちらに転んでも、予想を超えるような結果にならない気がして。
副作用が当たり前にある薬なんか飲みたくないし。
逆に、うつ病でも何でもない、気のせいだよなんて専門家に言われた日にゃ、いよいよ何も信じられなくなりそうで。
専門家の診断にすら懐疑的になってんだ。末期かもな。
知った気になって、行動しないのは悪い癖だ。わかってるんだ。
けど、信用もしてない他人の言動で生き方をポンっと変えられるほど、もうピュアじゃないのよ。無知じゃないの。初心者じゃないのよ。あくまで年齢的な意味で。
耳年増というか。精神年齢で言えば、まだ幼稚なだけなんだろうけど。
いいや、もう。今日はもう。わからなくなってきた。
整理整頓するために書き出したのに。2500字以上好き勝手吐き出しておいてこれか。
よかった、無駄に他人を巻き込まなくて。時間泥棒しなかっただけ、まだマシかな。
ここまで読み続ける人なんていないだろう。
いたらゴメンね。ありがとね。ごめんね。
折り合いをつけていかなきゃ。ああ。
それではまた、いつか。