吾輩は、猫になりたい。

趣味嗜好を人生の中心とした生き物の、雑記ブログ。

どうにも余計なことまで考えてしまうやうで。

頭の良し悪しは、この際どうでもいい。

どうやら養った考察力や思考力の使いこなすセンスというか、そこら辺が欠けているようで。

考えなしに行動しても後悔するし、考えて行動しても後悔するし、考えて行動しない選択をしても、後悔する。

後悔しないように、後悔しないような生き方をしたくても、できやしない。

そんな人間になれそうもない。

 

というかどうやら、後悔しない生き方なんて、滅多にできるものじゃないらしい。

よくよく考えてみれば、分かりきったことだったじゃないか。

肯定できる選択もあれば、反省すべき選択もあるし、後悔する選択もあるだろうに。

選択した自分を後悔しないってのは聞こえは良い生き様だし、本心なら素敵なことだが。

意固地になってる部分が少なからずあるんじゃないの??と、思ってしまうよね。

後悔するしないの選択をしてる時点で、悔いあるんじゃん。ってなもんで。

まぁ他人の生き様にとやかくいうつもりは全然無くて。自分だったら、そう思うなぁって話。

 

つまり、問題点や論点はそこじゃない。

やっぱり、選択することが大切で。その選択肢を自分で選んだ!と言い切れることこそ、重要なのではないか。

だからこそ誇りに思えたり、心底反省したりして、強くなっていくのかなって。

 

 

それでいうと。今回の、現状の、自分はどうだろう。

仕事は辞めたいと思っていた。ただ、その後の計画がとことん頓挫した心身の疲労と共に、選択肢を選ぶ力が減少していた。

そこに追い討ちをかけるかのようなタイミングで、契約満了の通知。

ただ、その結果をもたらした原因に自分が関与していないわけじゃない。自業自得なのだ。

そりゃそうだ。辞めるつもりだったんだから。重心は確実に前職からズレていた。

しかし、あまりにも前職の就労条件が好都合で、辞めきれなかったのも事実。

踏ん切りをつけられなかった自分にとっては、ほんの少し、救われた部分もあったんだ。

 

だから、単なるピンチじゃないんだ。これは。

チャンスだったんだ。間違いなく。ただ、そのチャンスを掴む手も握力も無かった。それだけの話。

運が悪かった。と一言で片付けるべきことじゃない。それはわかってる。

それでも、正直、もう少し、なんとかなるものだと過信してた。そこも含めて、自業自得なのかもなぁ。

 

とことん可能性を見出して挑戦して、明らかにして、諦めた。

自分のやりたいことが、憧れたことが、要は「エンターテイナー」だったと気づくと同時に愕然としたものだ。

どんどん自分の殻を剥いて、皮を剥いて、曝け出した自分の本質は、エンターテイナーとはかけ離れていたから。

 

誰かに喜んでもらえたり。楽しんでもらえることは、小さい頃から本心で嬉しかった。

落書きや手料理で喜んでくれる親兄弟。

漫画を模写して喜んでくれた友人。テレビの真似事をして笑いをとった時。

自分の思考や言動で生きる希望を持ったり、活力を持ったり、共に過ごす時間を大切にしてくれた恋人達。

曲を作って、自分の曲で感動してくれた人たち。

そんな人たちの顔を見たり、声を聞くことが、本当に嬉しかった。喜びで、幸せだった。

 

 

でも、きっと、なんか、違うんだ。

そんな、綺麗なもんじゃないんだ、俺のは。きっと。

世の中のエンターテイナーさん達とは、きっとかけ離れてる。

だって。そうさ。「喜んでもらうために努力すること」なんて、大嫌いなんだもの。

 

あくまで俺のは、好き勝手にやった言動に過ぎなくて、たまたま、身の回りの人たちに受け入れてもらえただけ。たまたま。ほんの一部に。

それを世の中に、社会に…と考えたら、そのまんまで通用するわけもなく。

そこには勉強も努力も覚悟も要る。当たり前だ。

そんな当たり前が、俺には身を裂くほどの苦痛なのだ。

根っからのエンターテイナーじゃなかった。もっと早く気づくべきだった。

憧れた時点で負けだったんだ。少なくとも、俺はそうだ。

憧れた時点で、つまりは本質が大いに異なるということで。

言うじゃないか、「隣の芝生は青く見える」と。

 

おそらく、天然物の芝生の青さに憧れた少年は、例え自分の芝生が人工のものでも、青くなるよう努力するものだ。

俺は違う。天然物の青さが良いんだ。自分の芝生が天然物に出来ないとわかった時点で、途端に努力なんてものをする気が無くなるんだ。

俺が憧れたのその天然物の芝生の青さ。

もちろんれっきとした天然物もあれば、中には調べたら人工のものを天然っぽく見せているだけだったり。

天然の芝生をそのままくり抜いて並べているものだったりもする訳で。

 

それはズルとかじゃなくて、その人達なりの工夫や努力の賜物で。決して馬鹿にできる物なんかじゃない。

ただ、ホッとした感情よりも、ほんの少し、ガッカリの方が強く感じてしまう人間だったんだ。俺が。

幼稚なままなんだ。残念ながら。やっぱり、天才はカッコいいもの。憧れちゃうもの。

 

 

ただ、幼稚な俺が憧れちゃうような天才の方達は、「天才」の一言で片付けていいような努力をしてきていない。

それは、それだけは、わかるようになった。

当たり前のように、誰よりも努力した。それはそれは、恐れ入るほど、「当たり前」に。

天才と凡才を分つのは、おそらくそこだけだ。努力の量や質じゃない。

苦痛を、苦悩を、「まるで当たり前かのように」受け入れて、打ち勝ってきた人達だ。

 

俺にも、たま〜〜〜に、ある。「よくしんどくないね、それ…」と言われるようなことが。

俺にとっては当たり前の言動や思考も、誰かにとってはとんでもない所業だったりする。

つまりは、そう言うことだ。

俺にもあるんだ。たまに。掴みきれてないけれど。あることはあると。

ただ、自分が望んだ部分には無かった。それはどうしようもない事実で、受け入れるべき事実なんだろう。

 

人生なんて、思い通りに行くわけない。

もちろん、思い通りに行く人生なんて退屈そうだとも思う。

それでも、思い通りに行かなくてイライラしたり、苦悶するのは、まだどこかで幼稚な俺がグズっているからなんだろう。

なんで?なんで思い通りに行かないの?って。

それによって思考力が身についたり、改善する努力が多少できるようになったのも事実だから、一概にクソガキってわけでもなさそう。

要は、付き合い方なのかも。

 

この幼稚でワガママな自分の手を引けるような、強さを身につけたいな。

多少グズっても、理解と妥協をさせながら。一歩ずつ、一緒に歩いて行けるような。

何でもかんでも大人の事情で無理やり押さえつけるんじゃなくて。

「まぁ、これはこれでアリかも!」って喜んでもらえるくらいのご褒美をあげられるように。

 

めめめめんどくせっっっ!!!!!(笑)

我ながら、本当に面倒臭い人間です。

それでも、しょうがないよね。それが俺みたいですし。

 

腐って自暴自棄ぶったって、やっぱり面白くないし。

やっぱり、出来ることはやるべきだとも思うし、ダラダラなんもしないより、ほんのちょっとでも頑張ってる自分の方が好きなのも事実。

 

ってなわけで。懲りずにやっていきましょ。

仕事は流石にね、俺の努力だけじゃどうにもならんことも多いので。

タイミングとかね。色々あるだろうし。

そこら辺も踏まえた上で、自分なりに出来ることを。ってなもんで。

 

 

こんなとこですか。

それでは、また。